親に慶應に行くと言いたい。
こんな題名をつけてはなんだが、自分の高校の偏差値は45である。
そして今僕は23。職無しの、だ。
普通は働いている年齢。
こんな経歴を歩んでいるのはまあ高卒で物流業で働いたあと半年でドロップアウト、精神科で障害者手帳を貰うための手続きをしてもらい、後に市から認定、以来「そういう人向けの」就労移行支援に通ったり、それも途中でやめて現在まで引きこもっている。これで十分だろう。
何故今になって「大学」にすがるのか。
正直社会で成功したいとかそんな純粋なものではなく、単なるコンプレックスである。
人に、社会に望まれぬほとんどの人が抱くアレだ。
「学歴」と「青春」。
これさえ揃えば人生なんてどうにでもなるのではないかと思う時期なのだ。
言えよ…
言うだけなら自由である。夢を語るだけなら簡単である。大層な夢を語りつつ親の寝静まった暗い自室で液晶画面を見つつ横になるのは楽である。
そんな一つの楽を過ごして気がついたら23になってしまった。
勉強などまともにやったのは何年前だろうか。中身など知る由もない参考書をこの前買いに行った。定価で。これは反省している。
今さら学習塾などに行くのも気が引けるし、そもそも学費は誰が払うのだ、ということもあり僕は自宅で勉強をする余裕「宅浪」状態というやつか。いやそもそも受験を体験していないが。
そんな低学歴の情報源は二つしかない。
インターネット、もしくは身内か、だ。
姉は2人とも大卒だし、話をするには国公立の医学部を出た1番上かな?
「それで、どのレベルなの?」
「え…?そ、早慶…」
そっから特に進展は無かった。
まあ「何を言ってんだこいつ?」な某北米大陸横断レース漫画の出場選手の状態なのだろう。バカ正直に返信に期待していた自分が可笑しいのだ。
大学の学費は誰が払う?参考書、試験にかかるお金、自分が負担できるのはそれまでだ。
そんな縁も金もない歳を取っただけの阿呆にしてやれる話などない。語るだけで何も進展は無いのだから。
(やっぱりそういう動画とか探すべきだよな…)
普段趣味の動画しか見ないyoutubeに、わざわざ大学関連のみの情報を集めたアカウントを作ってみる。どこまで続くか見ものである。
調べた所早慶のコース、参考書は20〜30冊、「一年ガチればいけます」とまあ僕のような馬鹿を惹きつける発言を覚えた。まあ、参考書なら買えなくもない…う〜んしかし一年か…
何かを得るには捨てる選択を迫られる時もある。「物質が精神を規定する」と言ったマルクスに従って、遊びもしないps4とswitchを片付けた。
これで捨てたのか…いや、まだだ。
これを打っている最大の試練、スマートフォンがあるではないか。
とりあえずこのゲームを消して…SNSも必要ない…
ああ、また捨てたのか?
一年を捧げる覚悟もなくまた?
正直なところ僕のような健常者未満が一年でいける大学など限られてくるだろう。
これは自分なりの行動だ。「これをやっているから目的に近づいている!」という自己暗示が必要なのだ。
じゃあ勉強しろよ。お前はbe動詞からだろう?
肝心なのはそこなのだ。あと一歩、今一度踏み入れる覚悟が無い。
(夢を語るのはそこからで良いではないか…)
そう言い聞かせ、僕は今日も家の家事をこなし、黙っている。